今回鑑賞したのは1997年公開の『コンタクト』。クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』もこの作品からインスパイアを受けたであろうと見受けられるなど、SFファンとしては見て損はない作品。

■監督:ロバート・ゼメキス
■脚本:ジェームズ・V・ハート、マイケル・ゴールドバーグ
■原作:カール・セーガン
■出演:ジョディ・フォスター、マシュー・マコノヒー、ジョン・ハート、ジェームズ・ウッズ、トム・スケリット





あらすじ



地球外知的生命体探査を研究する科学者エリーはある日、惑星ヴェガから電波信号を受信する。

地球外生命体からの“コンタクト”は政府の発表をとおし全世界へ知れ渡る。

その知らせに喜ぶ者や悲しむ者、神と崇める者から集団自殺する者まで現れた。

しかし信号を解析をするにつれて、やがてメッセージ以外にある設計図が隠されていることが判明し、その実現をめぐって政府とエリーは対立する。

その設計図をもとにマシーンを建設しヴェガとコンタクトを取りたいエリーはプロジェクトの実現に向け奔走するが…

(あらすじオリジナル)


ネタバレ




保守系信仰者のテロにより、一度は失敗したプロジェクトだが(そして尊い命が失われた)、やがて投資家(裏社会に君臨する実業家?)ハデンの援助を受け、あるマシーンの建設およびその稼働にこぎつけたエリー。

あるマシーンとは、ワームホールを通りヴェガとコンタクトを取る時空移動装置であった。

26光年先にあるヴェガへ飛び立つこととなるのはハデンの指名を受けたエリー。帰還できるか分からないこの宇宙飛行にエリーは意を決し、マシーンのポッドへ乗る。政府や科学者の見守るなか、エリーはワームホールへ飛び込みヴェガへと旅だったと思われた。

エリーはワームホールを幾度と越え、その先に見た光景は4つの太陽(こと座?)、ヴェガであった。ポッドのなかにいたはずのエリーはやがて砂浜に着陸する。

そして砂浜の向こうから近づく人影。それは父テッドを模した地球外生命体であった。この砂浜自体、エリーの記憶から型どられたものなのだ。

彼は言う、「君たちは興味深い。複雑な種だ。美しい夢を追う力もある。破壊的な悪夢も描く。途方に暮れ、孤独だと感じている。君はもう違う。我々は気付いた。孤独を癒してくれるのは、お互いの存在なのだ」と。

そして、この体験は何十億年と続けてきたことであり他の文明もまた同様であると。

しかし、マシーンやエリーのいるヴェガについては誰が創造したか分からぬと。まさかの地球外生命体が神の存在を諭したのである。

父テッドがエリーの額にキスをすると、やがてエリーは地球のマシーンの発射台へと戻る。

そう、時空を越えたため地上時間は経過していなかったのである。その時間はわずかに1秒以下。

予想のしない事態に慌てる政府は調査委員会を設置しエリーを審問する。

審問で客観的事実を見たエリーは幻覚の可能性を示唆しつつも自身の体験を信じ主張を続けるが、反論を許さず審問は終結する。

裏社会で暗躍する投資家であり実業家のハデンが仕組んだ出来事だったのではないかと結論付けた。しかしハデンはそのころロシアでガン治療の末、病死し真相は闇へと葬られた。

しかし実際には、公表されなかったものの極秘調査の結果、エリーの装着したビデオカメラには約18時間の録画が記録されていたのだった。

その功績を密かに称えんがためか、あまりにも不憫に思った政府側がエリーへの援助として今後も地球外知的生命体探査を続けられるよう取り計らったのである。


考察:ヴェガ人は何を伝えようとしていたか



結局のところヴェガ人がなにをしたくて電波信号を送り、エリーをはるか彼方のヴェガまで招待したのかということは触れられていない。

何かしらの目的があったであろうものの、エリーの問いかけにも「我々が君らの声を聞いた」と。(つまりテレビの初放送のことを言っているのだろう)

しかし時空移動装置のことを「我々ではない、作り主は知らない、来たときはもういなかった」ということからヴェガ人が代理を務めているようなものだと分かる。

創造主→ヴェガ人→地球人(エリー)の構図はなぜだろうか、宗教的なものを感じる。キリスト教でいうイエスは神の子、イスラム教でいうムハンマドは神の預言者。ここでいうヴェガ人も一神教と同様の立ち位置で創造主(=神)の代理人を務めているとみれないだろうか。

そしてその教えは「我々は孤独ではない」こと。どの宗教でも救われることを根幹として教えを説いているが、苦の根本を「孤独」としていることがわかる。

この孤独は個体である以上致し方ないものであり個体死(一人で死に行くこと)は免れないが、その先に天国やら極楽浄土を求めるのが宗教でもある。

逆に個体死を否定するのが宗教だが、あくまで孤独の先にある個体死を肯定しつつ、救われることを説いたのがヴェガ人でもある。

つまりは、個体死に重点を置くのでなく個人が生きると人生の最中に接する他人とのつながりに重点を置いて生命の意味づけをしようとしている。(個体死をもって人生の意味を完結するという意味にもとれる?)


まとめ



なんのために生きているのか。それは人生をかけた難題である。しかし、考えたとて答えはない。

たとえば歴史で偉業を成し遂げた人がいたとして、江戸幕府を開いたのが徳川家康の人生だったのだろうか?幼少期に人質になり、信長に仕え秀吉に屈服し堪え忍んだ人生の果ての満足した結果なのだろうか。
(幕府を開いたとて秀吉のように平和が長続きしないことだってあるだろう。家安は幕府を開き満足して死んだのだろうか)

つまりは、誰のために生きたかということに尽きる。それこそが孤独を解消し人生に意味をもたらす行動なのではないだろうか。
 
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