時として思うことがある。「なぜ人を殺してはいけないのか」。教育上、これを子どもに伝えるのは難しいと思う。
「自分が痛いことはされたくないでしょ?」「生命は尊いから」的な優等生解答は偽善すぎる。豚や牛、鳥を無下にした視野の狭い答えだし、「生きる上で動物を殺すのはしょうがない」とするのはあまりにも自己中心的(人間中心的)。

社会に生きる人間として「社会が崩壊するから」人は殺しては行けない、というのが仮の答えだと思う。社会とは人が複数で生きている"場所"としたい。
ただこれは社会に生きる人間に課せられたもので、社会に生きていない人間には通用しない論理。では人として、「人は人を殺しては行けないのか」?

人と人の間に生きる生物が人間だとすれば、人は他者の介在をよしとしないので、「してはいけない」抑制としては防衛本能があてはまらないか。
米兵が帰還後にPTSDに陥るような心理的防衛とか、生命を奪うことは自身の生命の危機にもつながることを本能的に分かっていて、回避行動として人を殺してはいけない。

ただそうすると、人に限る意味が分からない。
人に対する特別な思いが生じた場合などにPTSDに陥ると考えるなら、凶悪殺人犯と区別がつくし、思い入れのない生命を奪うことになんら精神的苦痛を感じないから動物の生命を奪うことをよしとできるのか。

そうすると、人と人が交流していることが前提だから、やはり「"人間"はヒトを殺してはいけない」になる。
そして人は他者なくして(社会でしか)生きていけないという前提を足すなら、
「人は社会でしか生きることができないから、社会が破壊されないためにも、人を殺してはいけない」のかな。
(人という漢字自体、支えあっているし。)

そう考えるなら、教育上は

「人を殺していいとしたら(皆が人を殺しあうことになり社会が破壊されて)パパとママが死ぬことになるから、人を殺してはいけないんだよ」

という言い方ができる。
…と、映画「ドラえもん」を観ながら思ったのでした。  
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