僕のうつ病闘病日記

うつ病を機に人生を変える行動をはじめませんか。

うつ病の経験を機に人生を変える行動をはじめませんか。

2018年12月

レンタルビデオ店でDVDを借りて、加瀬亮主演映画の「それでもボクはやってない」を鑑賞しました。
痴漢容疑で現行犯逮捕され、冤罪起訴される話です。冤罪事件について関心を持って鑑賞したわけですが、以前から思っていたことも含め、思ったことを2点書きます。

(1)冤罪事件について
映画でとりあげられていた痴漢をはじめとする性犯罪では、どうしても証拠・証明という問題が付き物となるようです。
痴漢においては密閉空間である満員電車が多いかと思います。このような場所においての証明は、犯人の所持品に付いた付着物、被害者・目撃者・被疑者の証言などになるのだと思います。そこでは、事後的な被害届では犯人を逮捕することは難しく、一般には被害に遭った(目撃した)時点での現行犯逮捕が望ましいように思います。
しかし、被疑者逮捕後の取り調べ等で被害者の衣類等の付着物が犯人の所持品等に付着しているなど決定的な証拠があれば「やったかのか、やっていないのか」が一発で分かるはずですが、実際はそうもいかないようです。
それは、捜査のずさんさです。映画でもありましたが、そういった付着物の照会を怠ることがあるようです。警察は被疑者を犯人と決め付けて捜査をはじめ、有罪に持ち込むために自白を促したり、被疑者に有利に働くようなものは取り調べ調書には記されないようです。そして、否認すればするほど取り調べは続き、勾留期間は延び、そして起訴。そして公判です。
自分も少し甘く思っていましたが、公正中立な裁判とはいえ、公判に入り、「これで白黒はっきりつく」と高を括ってはいけないようです。そもそも、抑留拘禁時間が長く、会社からは解雇されるでしょうし、取り調べや留置場、拘置所での生活は生半可なものではないです(この点、「安土茂『逮捕されたらどうなる』日本文芸社」を参考)。そして、ご存じの通り、日本の有罪率は99.9%。確実な証拠が出てこない場合や被告人側に有利な証拠があるとしても、検察が情報開示しない等、裁判官は被害者寄りの心証を形成せざるを得ず、有罪となる確率が高くあります。「疑わしきは被告人の利益」とはいったいなんなのでしょう。

では、痴漢に間違われてしまったとき、どうすればよいのしょうか。僕は現行犯逮捕されないことだと思います。
刑訴法213条は私人逮捕を規定しています。そして、痴漢の冤罪事件の多くはこれです。電車内あるいは駅構内で「痴漢です」と、痴漢の被害者や目撃者に手を捕まれた時点で現行犯逮捕となります。そして、駅員がかけつけ、駅員室で話をきくと言われてそのまま駅員室に向かえば、鉄道会社としてはあとは警察に引き渡すしかないはずです(刑訴法214条)ので、あとはもはや警察署に連れていかれて取り調べがはじまり、留置場となってしまいます。
そこで、現行犯逮捕されないことが重要となります。では、どうしたらよいのでしょうか。
刑訴法217条をご存知でしょうか?刑訴法217条には軽微事件と現行犯逮捕について規定されており、軽微事件については、「犯人の住居もしくは氏名が明らかでない場合または犯人が逃亡するおそれがある場合に限り」、現行犯逮捕できるとしています。
そして、痴漢については、その行為の態様によって、迷惑防止条例違反もしくは強制わいせつ罪(刑法176条)にあたります。前者は、「服の上から触った」ようなレベルで、刑訴法217条のそれに該当すると考えられるので、名刺や免許証等で身分を明かした場合には現行犯逮捕はすることができないことになります。
後者については、「下着のなかに手を入れて触った」ようなレベルであり、軽微なものとは言えませんが、身分を明かし、誠心誠意に対応したとなれば、必ずしも「逮捕の必要」が認められない可能性もありうるようです(刑訴法199条)。

◎痴漢と疑われた際には、身分を明かし、誠心誠意対応すること。
参考:http://www.men-joy.jp/archives/41157


(2)痴漢について
ずいぶん昔から、満員電車での痴漢は耐えません。そして痴漢の冤罪事件、または和解金を目的として痴漢事件を利用する詐欺、なぜこのような事態はいっこうに改善されないのでしょうか。

「痴漢は男が悪い」、「性犯罪者を撲滅しよう」、「冤罪は司法の欠陥だ」…。さまざまな意見があると思いますが、僕は、痴漢は鉄道会社と国の怠慢が原因だと思っています。
痴漢にたいして、鉄道会社は女性専用車両の導入や防犯カメラの導入をはじめています。しかし、いっこうに痴漢はなくなりません。なぜなのでしょうか。僕は、講じている策が中途半端であるからだと思います。
防犯カメラの導入は、ほとんど電車の一両にしかされていません。導入するのであれば全両に導入すべきです。とはいえ、防犯カメラは最善ではありません。なぜなら死角が必ず生まれます。そこで、僕は防犯カメラと併用で車内の両側面や天井部等にミラーをつけるべきだと考えます。ミラーは防犯用に店内に設置されているように、その存在自体が防犯作用を持つといわれているうえ、防犯カメラとの併用によって死角を減らすことができるし、満員電車においては、「いつ誰がどこから見ているかわからない」という状況になるため、とても犯罪の抑止効果があると思うのです。

また、女性専用車両についても中途半端であり、あまり効果がないと思います。環境犯罪学には「転移」という言葉があります。「転移」とは、たとえばA市とB市が隣接しており、A市は防犯に力をいれた結果、市内の犯罪率が低下したとします。しかし、A市の犯罪率が低下したからといっても犯罪者がいなくなったわけではないので、A市で犯罪ができなくなった犯罪者はB市に移動して犯罪を犯すため、全体として犯罪は減らないといった現象です。そして、鉄道会社の女性専用車両はまさにこれで、女性専用車両においては車内の安全が守られたとしても他の車両では平然と痴漢等が(むしろ増加して)発生しています。したがって、もし女性専用車両をより大きくとるのであれば、全車両を男女別に分けることが必要です。むしろ反対に、一両のみを共用車両として設置し、その一両においては防犯レベルを最大水準にすることで痴漢を撲滅することができるのではないかと考えます。

また、痴漢の多くが満員電車で起きることは周知の通りでです。では、なぜ乗車率を下げるような策を講じないのか全く疑問です。車両や電車本数の増加など費用がかかることはあるでしょう。そうであるなら、なぜ国は援助しないのでしょう。もはや、社会問題といって過言ではない痴漢なのですから、国をあげて取り組むべきだと思います。

痴漢は必ず撲滅することができると僕は思います。当然ですが、痴漢がなくなれば痴漢の冤罪事件も自ずとなくなると思います。


※浅知恵のため、不正確な表現や文章がある場合があります。ご了承ください。

今回、「なぜ痴漢(強制わいせつ)が当たり前のように日常的に発生しているのか」について取り上げる。




明治から存在する痴漢



この問題を取り上げる理由は、痴漢の被害は古くからあるにも関わらず、その数はほとんど変わらないといってよいほど現代において当たり前のように発生しているからである。

少なくとも痴漢は、明治45年に電車内で発生しているのが確認できる(明治45年1月28日の東京朝日新聞)。

にもかかわらず、女性専用車両や防犯カメラの導入など痴漢の対策が本格的に始まったのは2000年に入って以降である。

また、不思議なのは、公務員や官僚など社会的に成功している人さえも痴漢容疑でニュースに取り上げらえることがあることである。

被疑者の51%が会社員



2011年の警察庁の「電車内の痴漢防止に係る研究会の報告書」によれば、迷惑防止条例違反のうち痴漢行為の検挙件数は毎年4000件を超えている。その被疑者としては、30代が33%、40代が26%であり、被疑者の職業としては無職のものは10%にすぎず、51%が会社員である。

この点、公益財団法人日工組社会安全財団の「痴漢・ストーカー被害に対する不安感と対処に関する研究」では、被疑者として無職、自由業、肉体労働者などは少ないことが分かっている。

痴漢の動機としては、「痴漢をすると興奮するから」が50%であった。また、痴漢を行った箇所では、「左右のドアとドアの間」が57%、「座席の前」が22%、「座席上」が16%であり、目のつきそうな座席上でさえ痴漢が発生していることが分かる。

また、痴漢と言えば、満員電車をイメージしがちであるが、比較的空いている電車内においても発生しているようである。


なぜ痴漢が発生するのか



痴漢の発生要因として、満員電車という人と人が密着した状態のなか、性欲が刺激されて女体に触ってしまう、または、露出の高い服装の女性によって性欲が刺激されて犯行が行われるといわれている。

しかし、上記の事実から察するに、私は痴漢を行う犯罪者は遅発性の傾向が高く、犯行期に至るまでのストレスやその者が有する気質(性格)が原因ではないかと思う。

その理由としては3つある。

1つは、被疑者の職業として無職や自由業、肉体労働者に少なく、会社員が多いことである。なかでも官僚など社会的に成功している者までもが犯行に及んでいるところに特徴がある。

つまり、これらの者は、青年時代、とくに学生時代を難なくこなしてきたと考えられる。少なくとも、勤勉さや生真面目さなどの気質を持っていると考えられる。このような気質の人は、本音や自分の感情を抑制しやすく、ストレスも溜めやすい。

2つ目に、犯行の動機として「痴漢をすると興奮するから」が50%を占めることである。このことから察するに、共感性の欠如が見られるのではないか。

すなわち、勤勉さや生真面目といった気質を持つ者であり、社会的にも成功している者は、青年時代に学歴社会が築いたある種の「レール」に乗ろうと必死に頑張ってきたのではないか。

そう考えると、遊びよりもむしろ勉学、人とのかかわりよりも学業を選択してきており、共感性が十分に培われなかった可能性があると考える。

3つ目は、30~40代に多いことである。この年代は、結婚や子育て、家庭を持つ者が多く、そして社会的にも重要な役務を任される時期である。

そこで、このような環境下では、働き手である夫には家庭というプレッシャーや社会的地位などからくるストレスは相当にあると考える。

この点において、生真面目な人や不器用な人はそのストレスの解消をうまくコントロールできず、「ストレスから解放されたい」という半ば社会的自殺の意味から犯行に至ると考える。


まとめ



前述のように、痴漢は明治時代からはじまり、日々絶えることのない犯罪である。

その根幹には、日本の社会の在り方を垣間見ることができるのではないか。

すなわち、学歴社会によるストレス、そして「汗を流して働くこと」が良いこととされる風潮などが勤勉さや生真面目さと言った気質を持った人を苦しめ、現代の恒常的な痴漢を招いているのではないだろうか。


時として思うことがある。「なぜ人を殺してはいけないのか」。教育上、これを子どもに伝えるのは難しいと思う。
「自分が痛いことはされたくないでしょ?」「生命は尊いから」的な優等生解答は偽善すぎる。豚や牛、鳥を無下にした視野の狭い答えだし、「生きる上で動物を殺すのはしょうがない」とするのはあまりにも自己中心的(人間中心的)。

社会に生きる人間として「社会が崩壊するから」人は殺しては行けない、というのが仮の答えだと思う。社会とは人が複数で生きている"場所"としたい。
ただこれは社会に生きる人間に課せられたもので、社会に生きていない人間には通用しない論理。では人として、「人は人を殺しては行けないのか」?

人と人の間に生きる生物が人間だとすれば、人は他者の介在をよしとしないので、「してはいけない」抑制としては防衛本能があてはまらないか。
米兵が帰還後にPTSDに陥るような心理的防衛とか、生命を奪うことは自身の生命の危機にもつながることを本能的に分かっていて、回避行動として人を殺してはいけない。

ただそうすると、人に限る意味が分からない。
人に対する特別な思いが生じた場合などにPTSDに陥ると考えるなら、凶悪殺人犯と区別がつくし、思い入れのない生命を奪うことになんら精神的苦痛を感じないから動物の生命を奪うことをよしとできるのか。

そうすると、人と人が交流していることが前提だから、やはり「"人間"はヒトを殺してはいけない」になる。
そして人は他者なくして(社会でしか)生きていけないという前提を足すなら、
「人は社会でしか生きることができないから、社会が破壊されないためにも、人を殺してはいけない」のかな。
(人という漢字自体、支えあっているし。)

そう考えるなら、教育上は

「人を殺していいとしたら(皆が人を殺しあうことになり社会が破壊されて)パパとママが死ぬことになるから、人を殺してはいけないんだよ」

という言い方ができる。
…と、映画「ドラえもん」を観ながら思ったのでした。

今回鑑賞したのは1997年公開の『コンタクト』。クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』もこの作品からインスパイアを受けたであろうと見受けられるなど、SFファンとしては見て損はない作品。

■監督:ロバート・ゼメキス
■脚本:ジェームズ・V・ハート、マイケル・ゴールドバーグ
■原作:カール・セーガン
■出演:ジョディ・フォスター、マシュー・マコノヒー、ジョン・ハート、ジェームズ・ウッズ、トム・スケリット





あらすじ



地球外知的生命体探査を研究する科学者エリーはある日、惑星ヴェガから電波信号を受信する。

地球外生命体からの“コンタクト”は政府の発表をとおし全世界へ知れ渡る。

その知らせに喜ぶ者や悲しむ者、神と崇める者から集団自殺する者まで現れた。

しかし信号を解析をするにつれて、やがてメッセージ以外にある設計図が隠されていることが判明し、その実現をめぐって政府とエリーは対立する。

その設計図をもとにマシーンを建設しヴェガとコンタクトを取りたいエリーはプロジェクトの実現に向け奔走するが…

(あらすじオリジナル)


ネタバレ




保守系信仰者のテロにより、一度は失敗したプロジェクトだが(そして尊い命が失われた)、やがて投資家(裏社会に君臨する実業家?)ハデンの援助を受け、あるマシーンの建設およびその稼働にこぎつけたエリー。

あるマシーンとは、ワームホールを通りヴェガとコンタクトを取る時空移動装置であった。

26光年先にあるヴェガへ飛び立つこととなるのはハデンの指名を受けたエリー。帰還できるか分からないこの宇宙飛行にエリーは意を決し、マシーンのポッドへ乗る。政府や科学者の見守るなか、エリーはワームホールへ飛び込みヴェガへと旅だったと思われた。

エリーはワームホールを幾度と越え、その先に見た光景は4つの太陽(こと座?)、ヴェガであった。ポッドのなかにいたはずのエリーはやがて砂浜に着陸する。

そして砂浜の向こうから近づく人影。それは父テッドを模した地球外生命体であった。この砂浜自体、エリーの記憶から型どられたものなのだ。

彼は言う、「君たちは興味深い。複雑な種だ。美しい夢を追う力もある。破壊的な悪夢も描く。途方に暮れ、孤独だと感じている。君はもう違う。我々は気付いた。孤独を癒してくれるのは、お互いの存在なのだ」と。

そして、この体験は何十億年と続けてきたことであり他の文明もまた同様であると。

しかし、マシーンやエリーのいるヴェガについては誰が創造したか分からぬと。まさかの地球外生命体が神の存在を諭したのである。

父テッドがエリーの額にキスをすると、やがてエリーは地球のマシーンの発射台へと戻る。

そう、時空を越えたため地上時間は経過していなかったのである。その時間はわずかに1秒以下。

予想のしない事態に慌てる政府は調査委員会を設置しエリーを審問する。

審問で客観的事実を見たエリーは幻覚の可能性を示唆しつつも自身の体験を信じ主張を続けるが、反論を許さず審問は終結する。

裏社会で暗躍する投資家であり実業家のハデンが仕組んだ出来事だったのではないかと結論付けた。しかしハデンはそのころロシアでガン治療の末、病死し真相は闇へと葬られた。

しかし実際には、公表されなかったものの極秘調査の結果、エリーの装着したビデオカメラには約18時間の録画が記録されていたのだった。

その功績を密かに称えんがためか、あまりにも不憫に思った政府側がエリーへの援助として今後も地球外知的生命体探査を続けられるよう取り計らったのである。


考察:ヴェガ人は何を伝えようとしていたか



結局のところヴェガ人がなにをしたくて電波信号を送り、エリーをはるか彼方のヴェガまで招待したのかということは触れられていない。

何かしらの目的があったであろうものの、エリーの問いかけにも「我々が君らの声を聞いた」と。(つまりテレビの初放送のことを言っているのだろう)

しかし時空移動装置のことを「我々ではない、作り主は知らない、来たときはもういなかった」ということからヴェガ人が代理を務めているようなものだと分かる。

創造主→ヴェガ人→地球人(エリー)の構図はなぜだろうか、宗教的なものを感じる。キリスト教でいうイエスは神の子、イスラム教でいうムハンマドは神の預言者。ここでいうヴェガ人も一神教と同様の立ち位置で創造主(=神)の代理人を務めているとみれないだろうか。

そしてその教えは「我々は孤独ではない」こと。どの宗教でも救われることを根幹として教えを説いているが、苦の根本を「孤独」としていることがわかる。

この孤独は個体である以上致し方ないものであり個体死(一人で死に行くこと)は免れないが、その先に天国やら極楽浄土を求めるのが宗教でもある。

逆に個体死を否定するのが宗教だが、あくまで孤独の先にある個体死を肯定しつつ、救われることを説いたのがヴェガ人でもある。

つまりは、個体死に重点を置くのでなく個人が生きると人生の最中に接する他人とのつながりに重点を置いて生命の意味づけをしようとしている。(個体死をもって人生の意味を完結するという意味にもとれる?)


まとめ



なんのために生きているのか。それは人生をかけた難題である。しかし、考えたとて答えはない。

たとえば歴史で偉業を成し遂げた人がいたとして、江戸幕府を開いたのが徳川家康の人生だったのだろうか?幼少期に人質になり、信長に仕え秀吉に屈服し堪え忍んだ人生の果ての満足した結果なのだろうか。
(幕府を開いたとて秀吉のように平和が長続きしないことだってあるだろう。家安は幕府を開き満足して死んだのだろうか)

つまりは、誰のために生きたかということに尽きる。それこそが孤独を解消し人生に意味をもたらす行動なのではないだろうか。

今回は名作、アンドレイ・タルコフスキー監督『惑星ソラリス』をレビュー。

こちらの作品、TSUTAYAで借りて一度挫折しましたね。スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』と並ぶ意味深な作品です。しかし、その深さと言ったら…。


■原題:Solaris
■1972年/ソ連 上映時間165分
■監督:アンドレイ・タルコフスキー
■脚本:フリードリフ・ゴレンシュテイン、アンドレイ・タルコフスキー
■原作:スタニスワフ・レム
■出演:ナターリヤ・ボンダルチュク、ドナタス・バニオニス、アナトリー・ソロニーツィン、ウラジスラフ・ドボルジェツキー、ユーリ・ヤルベット





あらすじ



未知の惑星ソラリスを調査する宇宙ステーションで異常事態が発生し、調査に派遣された心理学者クリス。宇宙ステーションに滞在する科学者3人のうち、1人はすでに謎の自殺を遂げて残る2人も何かに覚えている様子であった。

しかし、クリスも調査をするうちに科学者しかいない宇宙ステーションから子供の声を聞いたり、自殺した妻ハリーの姿を目撃し怪奇現象に見舞われていく。

そのすべての元凶は惑星ソラリスはあり、ソラリスはプラズマ状の”海”に覆われており、理性を持つ有機体であった。人間の潜在意識を探り彼らに幻を見せるソラリス。死んだ妻の面影に心の揺れていくクリスが選ぶ選択は如何に。

(あらすじオリジナル)


感想&ネタバレ



作中は最初から最後まで非常に眠気を誘ってくるようなシーンが続く。
しかし時間がたつにつれて、観客は惑星ソラリスのその不気味さを感じていくのである。

冒頭に伝えたように私も一度挫折をし、二度目の鑑賞で最後までたどり着けたのだが、
どこかモヤのかかったような映像は、惑星ソラリスの”海”そのものとさえ思えてしまう。

ポーランドのSF作家スタニスラフ・レムのベストセラー長篇「ソラリスの陽のもとに」の映画化であるが、"未知なるもの"と遭遇して極限状況に置かれた人間の内面に光をあて、「愛」と「良心」をめぐる道徳・哲学的な問題を提起。深い洞察と独特の映画表現によって、映像による思弁ともいうべきタルコフスキーの世界を構築している。そして、これまでのSF映画に見られない新たな地平を拓いた画期的作品として、多くのファンを今なお魅了し続けているのである。

出典:アンドレイタル・コフスキー映画祭


この映画を観るには覚悟と時間が必要であることはわかっていただけたと思うが、
端的にラストをネタバレするのであれば、

かつて妻ハリーを愛し、死んでしまった彼女をいまもまだ忘れられない主人公クリスは、大いなる宇宙のもと、惑星ソラリスの幻に心を捉われ、過去の人となってしまったのである。

なんという人間の心の弱さだろうか。しかし、誰しもクリスを責めることはできない現実的な人間像だろう。



考察:惑星ソラリスが問いかけたかったこととは



生命を慈しみ死ぬことが出来たなら幸せである。人間は個を以てしか愛すことができない。

生と死を繰り返す、惑星ソラリスにディスプレイされるハリー。クリスの妻ハリーの仮面を被った幻影だが、“ハリー”は最も人間らしく感情と思考を身に付けていく。クリスを愛し、クリスに愛されたかった“ハリー“。
しかしクリスが愛しているのは前妻、過去のハリーであり、幾度も甦る個を超越した“ハリー”自身を受け入れることは難儀である。

他方、前妻、過去のハリーはクリスの愛を感じようとして自殺を図ったわけである。

眠りに見る夢は人類に共通する財産である、と作中で紹介された。

本来、クリスは夢の中でハリーを見続けるべきであった。死した最愛の妻がいまもなお目の前におり続けるとしたなら、クリスの世界に(最愛の妻が死ぬという)恐怖はない。恐怖がなくば不安もないし、生を感じることもない。楽しみしかない世界はやがて“楽しむ心”を感じなくなるから、無味無臭の眠りの世界と変わらなくなる。

夢にも終わりがあり、夢の中で起こり得ない出来事には、目覚めたあとに尊さを感じるものだ。

原作未読なので分からないが惑星ソラリス自体が愛を求めていたのではないかと思う。知能を得て愛を知ってしまった。しかしそれは叶うはずのないことなのである。


まとめ



クリスにとっての惑星ソラリスがどのような存在であったのか。
単に幻の妻ハリーを愛してしまっただけではなく、その向こう側のクリスの自我をソラリスは見透かしてしまったのだろう。

いま問題となっているインナーチャイルドやアダルトチルドレンなどといった、
幼少期の甘えを抱えたまま生きる大人を投影したかのような映画であった。

なお、若輩者の私にとってこの作品はまだ背伸びしたところがあるかと思う。
願わくば40代50代となったときにまた鑑賞しなおし、その真価を問い正すことができればよい。

今回、レビューするのはマイク・ケイヒル監督の『アナザープラネット』。

ラストの解釈が二択に分かれると絶賛されている作品です。2011年サンダンス映画祭で審査員特別賞。

■原題:ANOTHER EARTH
■2011/アメリカ 上映時間93分
■監督・脚本・撮影・編集:マイク・ケイヒル
■製作総指揮:ポール・メゼイ、タイラー・ブロディ
■脚本:ブリット・マーリング
■出演:ブリット・マーリング、ウィリアム・メイポーザー、ロビン・ロード・テイラー、マシュー=リー・アルルバフ




あらすじ



マサチューセッツ工科大学に合格した才色兼備のローダはある夜、未成年ながら飲酒をした上で自動車を運転してしまう。奇しくもその夜、夜空には“もうひとつの地球“が顔を出していた。その星に気を取られたローダは交通事故を起こしてしまう。

刑期を終え出所したローダはその贖罪のため、清掃会社に務め慎ましい生活を送っていた。

あることで被害者ジョンの現状を知り、いてもたってもいられなくなった彼女は謝罪のため被害者のもとを訪れたものの、真実を言い出せず清掃サービスの勧誘と偽ってしまう。

清掃のため、定期的にジョンのもとへ訪れるようになったローラはジョンと打ち解けいつしか愛し合ってしまうものの、真実を伝えられず…

現実から逃れたいローラは“もうひとつの地球”への宇宙旅行へ応募をするが、その星にはまったく同じ人間が存在していることを知りローラは贖罪へと一歩を踏み出す。
(あらすじオリジナル)



ネタバレ



贖罪をテーマとするこの作品。突然“もうひとつの地球”が空に現れるという古典的な設定を用いたSFサスペンスだ。主人公の選択いかん(の解釈)を観客に委ね最後まで楽しめる、非常に観客参加型の作品である。

(1)加害者と被害者という構図、そして愛し合ってしまうというアンビバレント。

真実が伝えられたとき、なにが起こるかというのは想像のできることである。奇跡はなかなか起こるものではない。

本作品でも、ローダからジョンへ真実が告げられたとき、ジョンのローダへの憤りは衝動を駆り立てた。

ジョンは怒りのあまりローダの首を絞め殺そうとするものの、その行為の過ちに気付き絶望する。行き場のない怒りである。


(2)かつてローダはジョンにある宇宙飛行士の話をしていた。

宇宙へ飛び立ったある日、制御盤の裏側からトントンと音が鳴っていることに気づいた男はだんだんと落ち着かなくなり、このままではノイローゼになるほどその音に悩まされていた。

残り数十日という途方のない飛行時間をどのように過ごしたらよいだろうかと頭を抱えた男は、その音を愛すことにしたのである。

するとその音は美しいメロディを奏で、男と宇宙飛行と共にした、というものである。

ローダとジョンもまた、同じ運命をたどっていた。憎しみと愛しみの間で揺れたのである。前後は逆であれど、愛してしまうことも可能であったのである。


(3)そんな折、“もうひとつの地球”への切符を手にしたローダ。

現実から逃れられる術を手に入れたローダは、“もうひとつの地球”への希望を摘み取れたのか?いやおそらく、「向こう」へ行ったとて悩み続けただろう。

そんなとき、TVニュースで流れたある仮説。

「第二の地球とわたしたちは、出会ったときから少しずつ変化しているはずだ」。

同じ人間がいろうとも少なくとも、“もうひとつの地球”と交信に成功した時点で事実は異なっているはずである。

では分岐のはじまりはいつなのか?

あの夜ではないか?事故を起こしたあの夜、“もうひとつの地球”は観測された。

そのことを知ったローダはある選択をする。

“もうひとつの地球”への切符をジョンに手渡すのだ。あの夜、事故が起きていないであろう可能性に賭けて、ジョンを“もうひとつの地球”へ送り出した。

ジョンを送り出し、帰宅したローダ。しかし異変に気づく。ガレージの前に立つ人物、そこには“もうひとつの地球”からきた“ローダ”がいた。


考察:ハッピーエンドなのか?バッドエンドなのか?真のエンドとは?



さて、ラストの解釈が問題である。

なぜ、“もうひとつの地球”からローダはやって来たのか?

ローダが切符を手にしたのは、現実から逃れたいがためであった。“もうひとつの地球”でもそうであるからこちらの地球にいた、と見るのが筋である。

しかし、注目したいのはローダの容姿。髪を整えきれいな服を着たローダははたして慎ましい生活を送ってきたローダであろうか?いやむしろマサチューセッツ工科大学に通い科学者となったローダに見えないか?

この点を見て、ハッピーエンドと解釈する人が多いようである。


しかし。しかしだ。仮にも宇宙飛行。第二の人生を歩むために“もうひとつの地球”に行こうとしたローダである。おしゃれするのは当然ではなかろうか。

こう読むとまたバッドエンドである。

ではいったいなんのために、彼女はローダに会いにやってきたのだろうか?バットエンドであれば、わざわざ会いに来る必要はないではないか。街に紛ればよいものをわざわざ会いに来るだらうか?



ここで思い出してほしい。ローダが出所してすぐのことだ。

仮面を被った男を見なかっただろうか?

あの男はなぜ仮面を被っていたか。同じ人物がこの世に存在したからである。(そしておそらくあれはジョンである)

“もうひとつの地球”からやってきた人間は一人ではないのだ。つまり、政治的な裏がないとするなら、科学は“もうひとつの地球”のほうが進んでいるということだ。

その差は極差なのかそうでないのかはわからないが、年単位であるのは確かだろう。

そして、ローダがジョンの家から去ろうとするシーンでは、すれ違い様に車がジョンの家へ横付けする。

これはいったい誰なのだろうか?ジョンと親しい人物がいたであろうか?あの車に見覚えはなかろうか。

“ローダ”である。

しかも、ジョンを知るローダである。

そう、事故は起こっていたのではないか?

そして、“もうひとつの地球”でもジョンとローダは男女の仲であった。

そして、先述したネタバレ(2)の伏線から読み取るに、もうひとつの地球で起きたことは

ローダは事故を起こした。→ジョンへ謝罪しに行くが男女の仲に。→真実を告げるとジョンはそれを受け入れた。→(こちらの)地球への切符を手にいれる。→ローダを助けに(こちらの)地球へ。→ジョンの家へ確認しに行く。→(こちらの地球の)ローダ宅への取材などが収まったことをみて(こちらの地球の)ローダにあいにいく。

つまり、ジョンにとってはバッドエンドである。しかし、“もうひとつの地球”のジョンは救われているのである。


まとめ




本作品はいくつも伏線が張られており、最後の解釈が観客に委ねられていることによって自身でこの伏線を回収していくというのが非常に面白い。

人によって解釈は異なれど、参考になればと思う。

まずは成果から。

身長 164.5cm→165.0cm
体重 51.8kg→58.8kg
(BMIの理想体重は59.9kg)
ポイントは三つ
・ウェイトアッププロテインの摂取
・タンパク質重視の食事
・公営ジムを利用した適量の筋トレ

私は常に痩せ型でした。女性からの評価で「スタイルいいよね」と言われることは稀であり、ほとんどの場合が「痩せてるね」でした。
そんな私がウェイトアップを思い立ったのが体力の増強、体質改善です。




1.ウェイトアッププロテインの摂取

市販のプロテインにはいくつか種類がありますよね。なかでもウェイトアッププロテインは、すぐに体重の増加が見られました。

摂取は使うプロテインによりますが、1日3回を目安にしました。(筋トレ日は筋トレ後30分以内に摂取します)
試したのは以下の二つ。

  • ザバス ウェイトアッププロテイン バナナ味
  • kentai ウェイトアッププロテイン チョコレート味


プロテインを選ぶうえで考慮したことは①効果②味③成分(タンパク質がどの程度含量しているか)です。 効果と味はレビューを見て決めましたが、結論として④身体への負荷も考慮する必要がありました。

効果や味は個人差があるものですが、そもそもプロテインは身体(肝臓)への負担が大きいと聞きます。つまり、自身の身体へ負荷が大きいと感じるプロテインは避けるべきでしょう。

私の例で言うと、上記ウェイトアッププロテインのチョコレート味があまり身体に合いませんでした。

個人的見解になりますが、自分の身体がカフェインに弱かったこと、チョコレートと言う刺激物という点が身体への負荷になったように思います。

そのようなこともあり、こちらはあまり効果が出ませんでした。

なので、私としてのおすすめは、ザバスのウェイトアッププロテインバナナ味です。
ちなみに、フレイバーは買っておくと便利です。お湯ではあまり溶けません。

2.タンパク質重視の食事

もちろんですが、食事の摂りかたも大事です。基本は筋肉増量のための食事でした。

私が聞いたのは、三種類のタンパク質の食材を摂ること。
たとえば、肉、豆腐、納豆。厳密に言うと豆腐と納豆は同じ大豆ですが、加工の仕方が異なりますから、栄養素の働き方も異なります。

肉中心の生活をすれば、欧米人のような筋肉量の多い肉体をつくることができるのでしょうが、日本人の私にはどうしても難しかったです。

基本は筋肉増量のための食事、と書きましたが、私はほかにも身体に合わない食材の排他をしました。

私がカフェインを摂れないことは先に述べましたが、自分にとっての毒素を摂取することで消化官への負荷、ないし余分に体内のエネルギーを使いたくなかったからです。

もちろん、酒、アルコール、コーヒー類の嗜好品は摂取しませんでした。代わりに摂取したものとしては、強いていうならヨーグルトですね。

疲労回復の効果があります。 

3.公営ジムを利用した適量の筋トレ

幸いなことに、居住する自治体に公営ジム(スポーツセンターなど)が整備されており施設も新しくなったということで利用しました。

この公営ジムに週2日(1回一時間)で通いました。少ないと思われるかもしれませんが、これでも毎日筋肉痛に悩まされました。

鍛えた部位は大胸筋、広背筋、腹筋、大腿四頭筋の大きな筋肉です。増量が目的ですから、力こぶや前腕はあまり重視しませんでした。

マイナーなマシンは利用しないので、公営ジムで十分足ります。

公営ジムを利用すべき理由はいくつかあります。

・利用料が安い
・敷居が低い
・意外とトレーニングプランを教えてくれる

利用料ですが、その額は一回200円。週2日で利用したので利用料はなんと、200円×週2日×8週=3200円です。

自治体にもよりますが、だいたい一回200円~400円で利用することができます。

公営ジムなので、いろんなかたが利用されています。なので、「互いに無不干渉」というのが基本となります。ものすごくマッチョの人や声をかけてくる人もあまりいません。

言ってしまえば、健康のために筋トレをしているおじさんおばさんばかりです。なので、フィットネスクラブよりも敷居は低いです。

専属トレーナーはいませんが、巡回するスタッフのかたが常駐しています。彼らも基本は不干渉ですが、トレーニングマシンの使い方がわからないときや鍛える筋肉で悩んでいる際には相談に乗ってくれます。

彼らも人間ですから、誠意をもって尋ねれば丁寧に回答してくれました。 筋トレは、身体を休める休憩日も必要ですから、公営ジム以外に自宅でやる必要はあまりないでしょう。

まとめ

身体を鍛えたいと思っても、本格的にやりはじめるのって根気がいりますよね。
自重トレーニングからでもよいので始めやすいところからやってみるといいかもしれませんね。

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