僕のうつ病闘病日記

うつ病を機に人生を変える行動をはじめませんか。

うつ病の経験を機に人生を変える行動をはじめませんか。

カテゴリ: 犯罪

レンタルビデオ店でDVDを借りて、加瀬亮主演映画の「それでもボクはやってない」を鑑賞しました。
痴漢容疑で現行犯逮捕され、冤罪起訴される話です。冤罪事件について関心を持って鑑賞したわけですが、以前から思っていたことも含め、思ったことを2点書きます。

(1)冤罪事件について
映画でとりあげられていた痴漢をはじめとする性犯罪では、どうしても証拠・証明という問題が付き物となるようです。
痴漢においては密閉空間である満員電車が多いかと思います。このような場所においての証明は、犯人の所持品に付いた付着物、被害者・目撃者・被疑者の証言などになるのだと思います。そこでは、事後的な被害届では犯人を逮捕することは難しく、一般には被害に遭った(目撃した)時点での現行犯逮捕が望ましいように思います。
しかし、被疑者逮捕後の取り調べ等で被害者の衣類等の付着物が犯人の所持品等に付着しているなど決定的な証拠があれば「やったかのか、やっていないのか」が一発で分かるはずですが、実際はそうもいかないようです。
それは、捜査のずさんさです。映画でもありましたが、そういった付着物の照会を怠ることがあるようです。警察は被疑者を犯人と決め付けて捜査をはじめ、有罪に持ち込むために自白を促したり、被疑者に有利に働くようなものは取り調べ調書には記されないようです。そして、否認すればするほど取り調べは続き、勾留期間は延び、そして起訴。そして公判です。
自分も少し甘く思っていましたが、公正中立な裁判とはいえ、公判に入り、「これで白黒はっきりつく」と高を括ってはいけないようです。そもそも、抑留拘禁時間が長く、会社からは解雇されるでしょうし、取り調べや留置場、拘置所での生活は生半可なものではないです(この点、「安土茂『逮捕されたらどうなる』日本文芸社」を参考)。そして、ご存じの通り、日本の有罪率は99.9%。確実な証拠が出てこない場合や被告人側に有利な証拠があるとしても、検察が情報開示しない等、裁判官は被害者寄りの心証を形成せざるを得ず、有罪となる確率が高くあります。「疑わしきは被告人の利益」とはいったいなんなのでしょう。

では、痴漢に間違われてしまったとき、どうすればよいのしょうか。僕は現行犯逮捕されないことだと思います。
刑訴法213条は私人逮捕を規定しています。そして、痴漢の冤罪事件の多くはこれです。電車内あるいは駅構内で「痴漢です」と、痴漢の被害者や目撃者に手を捕まれた時点で現行犯逮捕となります。そして、駅員がかけつけ、駅員室で話をきくと言われてそのまま駅員室に向かえば、鉄道会社としてはあとは警察に引き渡すしかないはずです(刑訴法214条)ので、あとはもはや警察署に連れていかれて取り調べがはじまり、留置場となってしまいます。
そこで、現行犯逮捕されないことが重要となります。では、どうしたらよいのでしょうか。
刑訴法217条をご存知でしょうか?刑訴法217条には軽微事件と現行犯逮捕について規定されており、軽微事件については、「犯人の住居もしくは氏名が明らかでない場合または犯人が逃亡するおそれがある場合に限り」、現行犯逮捕できるとしています。
そして、痴漢については、その行為の態様によって、迷惑防止条例違反もしくは強制わいせつ罪(刑法176条)にあたります。前者は、「服の上から触った」ようなレベルで、刑訴法217条のそれに該当すると考えられるので、名刺や免許証等で身分を明かした場合には現行犯逮捕はすることができないことになります。
後者については、「下着のなかに手を入れて触った」ようなレベルであり、軽微なものとは言えませんが、身分を明かし、誠心誠意に対応したとなれば、必ずしも「逮捕の必要」が認められない可能性もありうるようです(刑訴法199条)。

◎痴漢と疑われた際には、身分を明かし、誠心誠意対応すること。
参考:http://www.men-joy.jp/archives/41157


(2)痴漢について
ずいぶん昔から、満員電車での痴漢は耐えません。そして痴漢の冤罪事件、または和解金を目的として痴漢事件を利用する詐欺、なぜこのような事態はいっこうに改善されないのでしょうか。

「痴漢は男が悪い」、「性犯罪者を撲滅しよう」、「冤罪は司法の欠陥だ」…。さまざまな意見があると思いますが、僕は、痴漢は鉄道会社と国の怠慢が原因だと思っています。
痴漢にたいして、鉄道会社は女性専用車両の導入や防犯カメラの導入をはじめています。しかし、いっこうに痴漢はなくなりません。なぜなのでしょうか。僕は、講じている策が中途半端であるからだと思います。
防犯カメラの導入は、ほとんど電車の一両にしかされていません。導入するのであれば全両に導入すべきです。とはいえ、防犯カメラは最善ではありません。なぜなら死角が必ず生まれます。そこで、僕は防犯カメラと併用で車内の両側面や天井部等にミラーをつけるべきだと考えます。ミラーは防犯用に店内に設置されているように、その存在自体が防犯作用を持つといわれているうえ、防犯カメラとの併用によって死角を減らすことができるし、満員電車においては、「いつ誰がどこから見ているかわからない」という状況になるため、とても犯罪の抑止効果があると思うのです。

また、女性専用車両についても中途半端であり、あまり効果がないと思います。環境犯罪学には「転移」という言葉があります。「転移」とは、たとえばA市とB市が隣接しており、A市は防犯に力をいれた結果、市内の犯罪率が低下したとします。しかし、A市の犯罪率が低下したからといっても犯罪者がいなくなったわけではないので、A市で犯罪ができなくなった犯罪者はB市に移動して犯罪を犯すため、全体として犯罪は減らないといった現象です。そして、鉄道会社の女性専用車両はまさにこれで、女性専用車両においては車内の安全が守られたとしても他の車両では平然と痴漢等が(むしろ増加して)発生しています。したがって、もし女性専用車両をより大きくとるのであれば、全車両を男女別に分けることが必要です。むしろ反対に、一両のみを共用車両として設置し、その一両においては防犯レベルを最大水準にすることで痴漢を撲滅することができるのではないかと考えます。

また、痴漢の多くが満員電車で起きることは周知の通りでです。では、なぜ乗車率を下げるような策を講じないのか全く疑問です。車両や電車本数の増加など費用がかかることはあるでしょう。そうであるなら、なぜ国は援助しないのでしょう。もはや、社会問題といって過言ではない痴漢なのですから、国をあげて取り組むべきだと思います。

痴漢は必ず撲滅することができると僕は思います。当然ですが、痴漢がなくなれば痴漢の冤罪事件も自ずとなくなると思います。


※浅知恵のため、不正確な表現や文章がある場合があります。ご了承ください。

今回、「なぜ痴漢(強制わいせつ)が当たり前のように日常的に発生しているのか」について取り上げる。




明治から存在する痴漢



この問題を取り上げる理由は、痴漢の被害は古くからあるにも関わらず、その数はほとんど変わらないといってよいほど現代において当たり前のように発生しているからである。

少なくとも痴漢は、明治45年に電車内で発生しているのが確認できる(明治45年1月28日の東京朝日新聞)。

にもかかわらず、女性専用車両や防犯カメラの導入など痴漢の対策が本格的に始まったのは2000年に入って以降である。

また、不思議なのは、公務員や官僚など社会的に成功している人さえも痴漢容疑でニュースに取り上げらえることがあることである。

被疑者の51%が会社員



2011年の警察庁の「電車内の痴漢防止に係る研究会の報告書」によれば、迷惑防止条例違反のうち痴漢行為の検挙件数は毎年4000件を超えている。その被疑者としては、30代が33%、40代が26%であり、被疑者の職業としては無職のものは10%にすぎず、51%が会社員である。

この点、公益財団法人日工組社会安全財団の「痴漢・ストーカー被害に対する不安感と対処に関する研究」では、被疑者として無職、自由業、肉体労働者などは少ないことが分かっている。

痴漢の動機としては、「痴漢をすると興奮するから」が50%であった。また、痴漢を行った箇所では、「左右のドアとドアの間」が57%、「座席の前」が22%、「座席上」が16%であり、目のつきそうな座席上でさえ痴漢が発生していることが分かる。

また、痴漢と言えば、満員電車をイメージしがちであるが、比較的空いている電車内においても発生しているようである。


なぜ痴漢が発生するのか



痴漢の発生要因として、満員電車という人と人が密着した状態のなか、性欲が刺激されて女体に触ってしまう、または、露出の高い服装の女性によって性欲が刺激されて犯行が行われるといわれている。

しかし、上記の事実から察するに、私は痴漢を行う犯罪者は遅発性の傾向が高く、犯行期に至るまでのストレスやその者が有する気質(性格)が原因ではないかと思う。

その理由としては3つある。

1つは、被疑者の職業として無職や自由業、肉体労働者に少なく、会社員が多いことである。なかでも官僚など社会的に成功している者までもが犯行に及んでいるところに特徴がある。

つまり、これらの者は、青年時代、とくに学生時代を難なくこなしてきたと考えられる。少なくとも、勤勉さや生真面目さなどの気質を持っていると考えられる。このような気質の人は、本音や自分の感情を抑制しやすく、ストレスも溜めやすい。

2つ目に、犯行の動機として「痴漢をすると興奮するから」が50%を占めることである。このことから察するに、共感性の欠如が見られるのではないか。

すなわち、勤勉さや生真面目といった気質を持つ者であり、社会的にも成功している者は、青年時代に学歴社会が築いたある種の「レール」に乗ろうと必死に頑張ってきたのではないか。

そう考えると、遊びよりもむしろ勉学、人とのかかわりよりも学業を選択してきており、共感性が十分に培われなかった可能性があると考える。

3つ目は、30~40代に多いことである。この年代は、結婚や子育て、家庭を持つ者が多く、そして社会的にも重要な役務を任される時期である。

そこで、このような環境下では、働き手である夫には家庭というプレッシャーや社会的地位などからくるストレスは相当にあると考える。

この点において、生真面目な人や不器用な人はそのストレスの解消をうまくコントロールできず、「ストレスから解放されたい」という半ば社会的自殺の意味から犯行に至ると考える。


まとめ



前述のように、痴漢は明治時代からはじまり、日々絶えることのない犯罪である。

その根幹には、日本の社会の在り方を垣間見ることができるのではないか。

すなわち、学歴社会によるストレス、そして「汗を流して働くこと」が良いこととされる風潮などが勤勉さや生真面目さと言った気質を持った人を苦しめ、現代の恒常的な痴漢を招いているのではないだろうか。


時として思うことがある。「なぜ人を殺してはいけないのか」。教育上、これを子どもに伝えるのは難しいと思う。
「自分が痛いことはされたくないでしょ?」「生命は尊いから」的な優等生解答は偽善すぎる。豚や牛、鳥を無下にした視野の狭い答えだし、「生きる上で動物を殺すのはしょうがない」とするのはあまりにも自己中心的(人間中心的)。

社会に生きる人間として「社会が崩壊するから」人は殺しては行けない、というのが仮の答えだと思う。社会とは人が複数で生きている"場所"としたい。
ただこれは社会に生きる人間に課せられたもので、社会に生きていない人間には通用しない論理。では人として、「人は人を殺しては行けないのか」?

人と人の間に生きる生物が人間だとすれば、人は他者の介在をよしとしないので、「してはいけない」抑制としては防衛本能があてはまらないか。
米兵が帰還後にPTSDに陥るような心理的防衛とか、生命を奪うことは自身の生命の危機にもつながることを本能的に分かっていて、回避行動として人を殺してはいけない。

ただそうすると、人に限る意味が分からない。
人に対する特別な思いが生じた場合などにPTSDに陥ると考えるなら、凶悪殺人犯と区別がつくし、思い入れのない生命を奪うことになんら精神的苦痛を感じないから動物の生命を奪うことをよしとできるのか。

そうすると、人と人が交流していることが前提だから、やはり「"人間"はヒトを殺してはいけない」になる。
そして人は他者なくして(社会でしか)生きていけないという前提を足すなら、
「人は社会でしか生きることができないから、社会が破壊されないためにも、人を殺してはいけない」のかな。
(人という漢字自体、支えあっているし。)

そう考えるなら、教育上は

「人を殺していいとしたら(皆が人を殺しあうことになり社会が破壊されて)パパとママが死ぬことになるから、人を殺してはいけないんだよ」

という言い方ができる。
…と、映画「ドラえもん」を観ながら思ったのでした。

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