僕のうつ病闘病日記

うつ病を機に人生を変える行動をはじめませんか。

うつ病の経験を機に人生を変える行動をはじめませんか。

カテゴリ: 映画

一卵性双生児であっても模様の異なるという虹彩。本作は「瞳」を巡って繰り広げられるSFラブストーリである。

神を否定するために科学をしてきた主人公が、最終的に神を証明するために科学をすることとなる。



■監督:マイク・ケイヒル
■出演:マイケル・ピット、ブリット・マーリング、アストリッド・ベルジェ=フリスベ、スティーブン・ユァン、アーチ―・パンジャビ





あらすじ


ある日の夜、仮装パーティを楽しんでいたイアンは仮想したミステリアスな女性ソフィと恋に落ちる。

一夜の恋の唯一の手掛かりは、「瞳」を研究するイアンが撮った彼女の瞳の写真。写真を手掛かりに彼女を探し、再会する。

しかし結婚を目の前にして彼女は不慮の事故で亡くなってしまう。彼女の死にふさぎ込んだイアンを救ったのは研究パートナーのカレン。

やがて二人は結婚し子を授かったが、二人の子を巡って異変が起き、イアンは再び彼女を探す旅に出ることとなる。
(あらすじオリジナル)

ネタバレ

(1)科学を信じるイアンと宗教を信仰するソフィが出会う

科学によっていままで信仰してきた宗教を覆されたならあなたはどうするか?
ダライ・ラマは「もし私の信仰が間違っていたなら私は信仰を変える」と言った。
では、宗教によっていままでの科学が覆されたらあなたはどうするか?

以前にソフィは二人の出会いを「前世からのつながり」と表現していた。一方のイアンは、「ビッグバンが起こり、かつて一緒にいた二人の原子はふたたび出会うことができた」と表現するので、生まれ変わりとまでは言わないまでも何らかの物理的な同一性を肯定している。

しかしソフィはエレベーターの事故で死に、そして瞳を通して「サロミナ」に生まれ変わった。

イアンとカレンが授かった息子は発達した虹彩システムにより、誤認識を起こしたのをきっかけに息子の前世を知ることとなる。息子と前世の男性は同じ虹彩を持っていたのである。
そこでイアンの持ちうる瞳の写真データを虹彩システムに照合したところ、死んだはずのソフィがヒットした。登録地はインド。イアンはインドに旅立ち、少女サロミナに出会う。

イアンは自身の信条に基づいてサロミナ(ソフィ)の実験を行った。結果的に、科学的には証明されなかったが、サロミナがエレベーターを怖がったことで「生まれ変わり」を確信する。
ソフィは生まれ変わりを信じていたのに対し、イアンは信じてなかったわけだが、このときイアンのなかの科学は崩壊したに等しい。宗教によって科学(自身の価値観)が覆された瞬間であった。

そしてふたたび再会したわけである。

(2)光を知らないミミズ、第六感を持たない人間

イアンはミミズに突然変異を起こさせ、目を作り光を与えた。本来ミミズは光を知らない。
人もまた突然変異(個体差?)によって”感じる”人とそうでない人がいる。
ソフィは神秘的なものを感じとる人間であり、宗教を信じる人種であった。
それを神と呼ぶのか、天使と呼ぶのかは宗教的な問題にすぎず、違いはない。
なぜなら、ミミズの光と同じで共通認識としての答えがないからである。(人々の共通認識として証明されたものを科学と呼ぶ)

しかし、近年のビッグデータの存在により世界中の瞳を管理するようになり、
人がその一端に触れることとなったのが本作中のストーリーである。


考察:最後に現れる牧師の意味するところ

滞在したインドのホテルでイアンは牧師マッケンジーに出会う。牧師はこう言い残している。


マッケンジー「インドは初めて?」

イアン「実はそうです」

マッケンジー「お互いいい仕事を」

イアン「仕事はなにを?」

マッケンジー「営業をしていますが、主の使いも。」

マッケンジー「おやすみなさい」

イアン「どうも」

マッケンジー「また会えますように」


マッケンジーの現れ方はあまりに突然である。閉まりかけのエレベーターを手で止めて乗り込んでくるその様は、「尾行」を彷彿とさせるシーンである。

そして「インドははじめて?」と問い、「また会えますように」と皮肉るように立ち去る。
まるでイアンを知っているようなそぶりを見せるのである。

ここから察するにマッケンジーはイェール大学のドクターシモンズと関係する人物なのではなかろうかと推測する。

シモンズはイアンの息子トバイアスを実験体として「生まれ変わり」の実験を行っている。
シモンズからイアン宅に連絡を入れているわけだから両親の素性(=科学者)は把握しているはずである。仮にもイアンはTV出演する有名人である。
そしてトバイアスの実験中に「The test is over.」と中断させて帰ってしまった。

シモンズが「イアンのその後の動向を把握したい」という筋は通るように思う。
イアンはこの点を察知して、サロミナをホテルに連れ込む際、マッケンジーを避けたのであろう。

まとめ

本作はSFというよりもファンタジーに近いのかもしれない。
そしてドラマでありラブストーリーであり、スリラーでもある。

マイク・ケイヒル監督は、科学と宗教という一見相いれないものをうまく表現し、
また「瞳は魂の窓」という哲学を語るところが面白いのである。

今回鑑賞したのは1997年公開の『コンタクト』。クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』もこの作品からインスパイアを受けたであろうと見受けられるなど、SFファンとしては見て損はない作品。

■監督:ロバート・ゼメキス
■脚本:ジェームズ・V・ハート、マイケル・ゴールドバーグ
■原作:カール・セーガン
■出演:ジョディ・フォスター、マシュー・マコノヒー、ジョン・ハート、ジェームズ・ウッズ、トム・スケリット





あらすじ



地球外知的生命体探査を研究する科学者エリーはある日、惑星ヴェガから電波信号を受信する。

地球外生命体からの“コンタクト”は政府の発表をとおし全世界へ知れ渡る。

その知らせに喜ぶ者や悲しむ者、神と崇める者から集団自殺する者まで現れた。

しかし信号を解析をするにつれて、やがてメッセージ以外にある設計図が隠されていることが判明し、その実現をめぐって政府とエリーは対立する。

その設計図をもとにマシーンを建設しヴェガとコンタクトを取りたいエリーはプロジェクトの実現に向け奔走するが…

(あらすじオリジナル)


ネタバレ




保守系信仰者のテロにより、一度は失敗したプロジェクトだが(そして尊い命が失われた)、やがて投資家(裏社会に君臨する実業家?)ハデンの援助を受け、あるマシーンの建設およびその稼働にこぎつけたエリー。

あるマシーンとは、ワームホールを通りヴェガとコンタクトを取る時空移動装置であった。

26光年先にあるヴェガへ飛び立つこととなるのはハデンの指名を受けたエリー。帰還できるか分からないこの宇宙飛行にエリーは意を決し、マシーンのポッドへ乗る。政府や科学者の見守るなか、エリーはワームホールへ飛び込みヴェガへと旅だったと思われた。

エリーはワームホールを幾度と越え、その先に見た光景は4つの太陽(こと座?)、ヴェガであった。ポッドのなかにいたはずのエリーはやがて砂浜に着陸する。

そして砂浜の向こうから近づく人影。それは父テッドを模した地球外生命体であった。この砂浜自体、エリーの記憶から型どられたものなのだ。

彼は言う、「君たちは興味深い。複雑な種だ。美しい夢を追う力もある。破壊的な悪夢も描く。途方に暮れ、孤独だと感じている。君はもう違う。我々は気付いた。孤独を癒してくれるのは、お互いの存在なのだ」と。

そして、この体験は何十億年と続けてきたことであり他の文明もまた同様であると。

しかし、マシーンやエリーのいるヴェガについては誰が創造したか分からぬと。まさかの地球外生命体が神の存在を諭したのである。

父テッドがエリーの額にキスをすると、やがてエリーは地球のマシーンの発射台へと戻る。

そう、時空を越えたため地上時間は経過していなかったのである。その時間はわずかに1秒以下。

予想のしない事態に慌てる政府は調査委員会を設置しエリーを審問する。

審問で客観的事実を見たエリーは幻覚の可能性を示唆しつつも自身の体験を信じ主張を続けるが、反論を許さず審問は終結する。

裏社会で暗躍する投資家であり実業家のハデンが仕組んだ出来事だったのではないかと結論付けた。しかしハデンはそのころロシアでガン治療の末、病死し真相は闇へと葬られた。

しかし実際には、公表されなかったものの極秘調査の結果、エリーの装着したビデオカメラには約18時間の録画が記録されていたのだった。

その功績を密かに称えんがためか、あまりにも不憫に思った政府側がエリーへの援助として今後も地球外知的生命体探査を続けられるよう取り計らったのである。


考察:ヴェガ人は何を伝えようとしていたか



結局のところヴェガ人がなにをしたくて電波信号を送り、エリーをはるか彼方のヴェガまで招待したのかということは触れられていない。

何かしらの目的があったであろうものの、エリーの問いかけにも「我々が君らの声を聞いた」と。(つまりテレビの初放送のことを言っているのだろう)

しかし時空移動装置のことを「我々ではない、作り主は知らない、来たときはもういなかった」ということからヴェガ人が代理を務めているようなものだと分かる。

創造主→ヴェガ人→地球人(エリー)の構図はなぜだろうか、宗教的なものを感じる。キリスト教でいうイエスは神の子、イスラム教でいうムハンマドは神の預言者。ここでいうヴェガ人も一神教と同様の立ち位置で創造主(=神)の代理人を務めているとみれないだろうか。

そしてその教えは「我々は孤独ではない」こと。どの宗教でも救われることを根幹として教えを説いているが、苦の根本を「孤独」としていることがわかる。

この孤独は個体である以上致し方ないものであり個体死(一人で死に行くこと)は免れないが、その先に天国やら極楽浄土を求めるのが宗教でもある。

逆に個体死を否定するのが宗教だが、あくまで孤独の先にある個体死を肯定しつつ、救われることを説いたのがヴェガ人でもある。

つまりは、個体死に重点を置くのでなく個人が生きると人生の最中に接する他人とのつながりに重点を置いて生命の意味づけをしようとしている。(個体死をもって人生の意味を完結するという意味にもとれる?)


まとめ



なんのために生きているのか。それは人生をかけた難題である。しかし、考えたとて答えはない。

たとえば歴史で偉業を成し遂げた人がいたとして、江戸幕府を開いたのが徳川家康の人生だったのだろうか?幼少期に人質になり、信長に仕え秀吉に屈服し堪え忍んだ人生の果ての満足した結果なのだろうか。
(幕府を開いたとて秀吉のように平和が長続きしないことだってあるだろう。家安は幕府を開き満足して死んだのだろうか)

つまりは、誰のために生きたかということに尽きる。それこそが孤独を解消し人生に意味をもたらす行動なのではないだろうか。

今回は名作、アンドレイ・タルコフスキー監督『惑星ソラリス』をレビュー。

こちらの作品、TSUTAYAで借りて一度挫折しましたね。スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』と並ぶ意味深な作品です。しかし、その深さと言ったら…。


■原題:Solaris
■1972年/ソ連 上映時間165分
■監督:アンドレイ・タルコフスキー
■脚本:フリードリフ・ゴレンシュテイン、アンドレイ・タルコフスキー
■原作:スタニスワフ・レム
■出演:ナターリヤ・ボンダルチュク、ドナタス・バニオニス、アナトリー・ソロニーツィン、ウラジスラフ・ドボルジェツキー、ユーリ・ヤルベット





あらすじ



未知の惑星ソラリスを調査する宇宙ステーションで異常事態が発生し、調査に派遣された心理学者クリス。宇宙ステーションに滞在する科学者3人のうち、1人はすでに謎の自殺を遂げて残る2人も何かに覚えている様子であった。

しかし、クリスも調査をするうちに科学者しかいない宇宙ステーションから子供の声を聞いたり、自殺した妻ハリーの姿を目撃し怪奇現象に見舞われていく。

そのすべての元凶は惑星ソラリスはあり、ソラリスはプラズマ状の”海”に覆われており、理性を持つ有機体であった。人間の潜在意識を探り彼らに幻を見せるソラリス。死んだ妻の面影に心の揺れていくクリスが選ぶ選択は如何に。

(あらすじオリジナル)


感想&ネタバレ



作中は最初から最後まで非常に眠気を誘ってくるようなシーンが続く。
しかし時間がたつにつれて、観客は惑星ソラリスのその不気味さを感じていくのである。

冒頭に伝えたように私も一度挫折をし、二度目の鑑賞で最後までたどり着けたのだが、
どこかモヤのかかったような映像は、惑星ソラリスの”海”そのものとさえ思えてしまう。

ポーランドのSF作家スタニスラフ・レムのベストセラー長篇「ソラリスの陽のもとに」の映画化であるが、"未知なるもの"と遭遇して極限状況に置かれた人間の内面に光をあて、「愛」と「良心」をめぐる道徳・哲学的な問題を提起。深い洞察と独特の映画表現によって、映像による思弁ともいうべきタルコフスキーの世界を構築している。そして、これまでのSF映画に見られない新たな地平を拓いた画期的作品として、多くのファンを今なお魅了し続けているのである。

出典:アンドレイタル・コフスキー映画祭


この映画を観るには覚悟と時間が必要であることはわかっていただけたと思うが、
端的にラストをネタバレするのであれば、

かつて妻ハリーを愛し、死んでしまった彼女をいまもまだ忘れられない主人公クリスは、大いなる宇宙のもと、惑星ソラリスの幻に心を捉われ、過去の人となってしまったのである。

なんという人間の心の弱さだろうか。しかし、誰しもクリスを責めることはできない現実的な人間像だろう。



考察:惑星ソラリスが問いかけたかったこととは



生命を慈しみ死ぬことが出来たなら幸せである。人間は個を以てしか愛すことができない。

生と死を繰り返す、惑星ソラリスにディスプレイされるハリー。クリスの妻ハリーの仮面を被った幻影だが、“ハリー”は最も人間らしく感情と思考を身に付けていく。クリスを愛し、クリスに愛されたかった“ハリー“。
しかしクリスが愛しているのは前妻、過去のハリーであり、幾度も甦る個を超越した“ハリー”自身を受け入れることは難儀である。

他方、前妻、過去のハリーはクリスの愛を感じようとして自殺を図ったわけである。

眠りに見る夢は人類に共通する財産である、と作中で紹介された。

本来、クリスは夢の中でハリーを見続けるべきであった。死した最愛の妻がいまもなお目の前におり続けるとしたなら、クリスの世界に(最愛の妻が死ぬという)恐怖はない。恐怖がなくば不安もないし、生を感じることもない。楽しみしかない世界はやがて“楽しむ心”を感じなくなるから、無味無臭の眠りの世界と変わらなくなる。

夢にも終わりがあり、夢の中で起こり得ない出来事には、目覚めたあとに尊さを感じるものだ。

原作未読なので分からないが惑星ソラリス自体が愛を求めていたのではないかと思う。知能を得て愛を知ってしまった。しかしそれは叶うはずのないことなのである。


まとめ



クリスにとっての惑星ソラリスがどのような存在であったのか。
単に幻の妻ハリーを愛してしまっただけではなく、その向こう側のクリスの自我をソラリスは見透かしてしまったのだろう。

いま問題となっているインナーチャイルドやアダルトチルドレンなどといった、
幼少期の甘えを抱えたまま生きる大人を投影したかのような映画であった。

なお、若輩者の私にとってこの作品はまだ背伸びしたところがあるかと思う。
願わくば40代50代となったときにまた鑑賞しなおし、その真価を問い正すことができればよい。

今回、レビューするのはマイク・ケイヒル監督の『アナザープラネット』。

ラストの解釈が二択に分かれると絶賛されている作品です。2011年サンダンス映画祭で審査員特別賞。

■原題:ANOTHER EARTH
■2011/アメリカ 上映時間93分
■監督・脚本・撮影・編集:マイク・ケイヒル
■製作総指揮:ポール・メゼイ、タイラー・ブロディ
■脚本:ブリット・マーリング
■出演:ブリット・マーリング、ウィリアム・メイポーザー、ロビン・ロード・テイラー、マシュー=リー・アルルバフ




あらすじ



マサチューセッツ工科大学に合格した才色兼備のローダはある夜、未成年ながら飲酒をした上で自動車を運転してしまう。奇しくもその夜、夜空には“もうひとつの地球“が顔を出していた。その星に気を取られたローダは交通事故を起こしてしまう。

刑期を終え出所したローダはその贖罪のため、清掃会社に務め慎ましい生活を送っていた。

あることで被害者ジョンの現状を知り、いてもたってもいられなくなった彼女は謝罪のため被害者のもとを訪れたものの、真実を言い出せず清掃サービスの勧誘と偽ってしまう。

清掃のため、定期的にジョンのもとへ訪れるようになったローラはジョンと打ち解けいつしか愛し合ってしまうものの、真実を伝えられず…

現実から逃れたいローラは“もうひとつの地球”への宇宙旅行へ応募をするが、その星にはまったく同じ人間が存在していることを知りローラは贖罪へと一歩を踏み出す。
(あらすじオリジナル)



ネタバレ



贖罪をテーマとするこの作品。突然“もうひとつの地球”が空に現れるという古典的な設定を用いたSFサスペンスだ。主人公の選択いかん(の解釈)を観客に委ね最後まで楽しめる、非常に観客参加型の作品である。

(1)加害者と被害者という構図、そして愛し合ってしまうというアンビバレント。

真実が伝えられたとき、なにが起こるかというのは想像のできることである。奇跡はなかなか起こるものではない。

本作品でも、ローダからジョンへ真実が告げられたとき、ジョンのローダへの憤りは衝動を駆り立てた。

ジョンは怒りのあまりローダの首を絞め殺そうとするものの、その行為の過ちに気付き絶望する。行き場のない怒りである。


(2)かつてローダはジョンにある宇宙飛行士の話をしていた。

宇宙へ飛び立ったある日、制御盤の裏側からトントンと音が鳴っていることに気づいた男はだんだんと落ち着かなくなり、このままではノイローゼになるほどその音に悩まされていた。

残り数十日という途方のない飛行時間をどのように過ごしたらよいだろうかと頭を抱えた男は、その音を愛すことにしたのである。

するとその音は美しいメロディを奏で、男と宇宙飛行と共にした、というものである。

ローダとジョンもまた、同じ運命をたどっていた。憎しみと愛しみの間で揺れたのである。前後は逆であれど、愛してしまうことも可能であったのである。


(3)そんな折、“もうひとつの地球”への切符を手にしたローダ。

現実から逃れられる術を手に入れたローダは、“もうひとつの地球”への希望を摘み取れたのか?いやおそらく、「向こう」へ行ったとて悩み続けただろう。

そんなとき、TVニュースで流れたある仮説。

「第二の地球とわたしたちは、出会ったときから少しずつ変化しているはずだ」。

同じ人間がいろうとも少なくとも、“もうひとつの地球”と交信に成功した時点で事実は異なっているはずである。

では分岐のはじまりはいつなのか?

あの夜ではないか?事故を起こしたあの夜、“もうひとつの地球”は観測された。

そのことを知ったローダはある選択をする。

“もうひとつの地球”への切符をジョンに手渡すのだ。あの夜、事故が起きていないであろう可能性に賭けて、ジョンを“もうひとつの地球”へ送り出した。

ジョンを送り出し、帰宅したローダ。しかし異変に気づく。ガレージの前に立つ人物、そこには“もうひとつの地球”からきた“ローダ”がいた。


考察:ハッピーエンドなのか?バッドエンドなのか?真のエンドとは?



さて、ラストの解釈が問題である。

なぜ、“もうひとつの地球”からローダはやって来たのか?

ローダが切符を手にしたのは、現実から逃れたいがためであった。“もうひとつの地球”でもそうであるからこちらの地球にいた、と見るのが筋である。

しかし、注目したいのはローダの容姿。髪を整えきれいな服を着たローダははたして慎ましい生活を送ってきたローダであろうか?いやむしろマサチューセッツ工科大学に通い科学者となったローダに見えないか?

この点を見て、ハッピーエンドと解釈する人が多いようである。


しかし。しかしだ。仮にも宇宙飛行。第二の人生を歩むために“もうひとつの地球”に行こうとしたローダである。おしゃれするのは当然ではなかろうか。

こう読むとまたバッドエンドである。

ではいったいなんのために、彼女はローダに会いにやってきたのだろうか?バットエンドであれば、わざわざ会いに来る必要はないではないか。街に紛ればよいものをわざわざ会いに来るだらうか?



ここで思い出してほしい。ローダが出所してすぐのことだ。

仮面を被った男を見なかっただろうか?

あの男はなぜ仮面を被っていたか。同じ人物がこの世に存在したからである。(そしておそらくあれはジョンである)

“もうひとつの地球”からやってきた人間は一人ではないのだ。つまり、政治的な裏がないとするなら、科学は“もうひとつの地球”のほうが進んでいるということだ。

その差は極差なのかそうでないのかはわからないが、年単位であるのは確かだろう。

そして、ローダがジョンの家から去ろうとするシーンでは、すれ違い様に車がジョンの家へ横付けする。

これはいったい誰なのだろうか?ジョンと親しい人物がいたであろうか?あの車に見覚えはなかろうか。

“ローダ”である。

しかも、ジョンを知るローダである。

そう、事故は起こっていたのではないか?

そして、“もうひとつの地球”でもジョンとローダは男女の仲であった。

そして、先述したネタバレ(2)の伏線から読み取るに、もうひとつの地球で起きたことは

ローダは事故を起こした。→ジョンへ謝罪しに行くが男女の仲に。→真実を告げるとジョンはそれを受け入れた。→(こちらの)地球への切符を手にいれる。→ローダを助けに(こちらの)地球へ。→ジョンの家へ確認しに行く。→(こちらの地球の)ローダ宅への取材などが収まったことをみて(こちらの地球の)ローダにあいにいく。

つまり、ジョンにとってはバッドエンドである。しかし、“もうひとつの地球”のジョンは救われているのである。


まとめ




本作品はいくつも伏線が張られており、最後の解釈が観客に委ねられていることによって自身でこの伏線を回収していくというのが非常に面白い。

人によって解釈は異なれど、参考になればと思う。

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